大判例

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大阪高等裁判所 昭和33年(ネ)1514号 判決

控訴人 中垣良彦

被控訴人 吉野重光

主文

原判決を取り消す。

被控訴人は控訴人に対し八〇万円及びこれに対する昭和三〇年一二月一一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

控訴人が二五万円の担保を供するときは主文第二、三項に限り仮に執行することができる。

事実

控訴代理人は、主文第一ないし第三項と同旨の判決並びに担保を条件とする仮執行の宣言を求め、被控訴人は、「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

当事者双方の主張、証拠の提出援用認否は、控訴代理人において、控訴人は、奈良県立大淀高等学校教諭を奉職しており、妻あき恵との間に二男三女があるが、五七歳であつた昭和二九年に学校当局から老齢であるので退職して貰いたいと要求されたが、私立学校に長く勤め公立学校の勤続が短く退職しても恩給の支給がないので焦慮していたところ、同年末果樹園を売却する旨の被控訴人の新聞広告を見て被控訴人に照会した。被控訴人は、手紙(甲第一号証)で右果樹園は元田、畑、山林であつたが九年前に果樹園としたもので、面積は五反歩以上、代金五〇〇万円、収入金額によりすぐ生活の保証ができることは充分であるが、実地を見に来てくれと回答して来た。控訴人は、昭和三〇年一月二日被控訴人の案内で本件果樹園を見分した。被控訴人は、この果樹園は桃が主で桃の年収は最低九〇万円から最高一五〇万円までの純収入(肥料代人夫賃を除く。)があるというので、控訴人は、前記家庭の状況や教職関係を話して教職をやめると給料も恩給もなく生活は果樹園の収入によらなければならないが、もれだけの年収が必ずあるかと尋ねると、被控訴人は、その年収は間違ない、自分は九年間経営して来ているからよく判つている、控訴人の生活はその収入により充分できることを保証すると答えた。控訴人は手許の預貯金は一二〇万円か一三〇万円しかないので、これを全部支払うと、現在学校公舎に居住しているが辞職すると家屋の建築しなければならないし、前記の収入かないと果樹園の買受代金の支払をする資力がないと云うと、被控訴人は、今日持参の二〇万円を支払つて貰い、残金八〇万円ないし一〇〇万円を四月中に支払つてくれれば、その残金は果樹園の収入により支払つて貰えばよい、住宅は三〇万円で完全に建築する、飲料水は傍らの水流を用水にすれば夏でもかれることはなく、電燈は一万円で敷設できると云うので、控訴人は、被控訴人の右の話を信用し、代金五〇〇万円という売値を値切らずに本件果樹園を買い受ける旨契約し、即日二〇万円を内金として支払つた。右のように(一)、控訴人の家庭の事情、職業や資産の状況から果樹園が年収最低九〇万円あり、これによりすぐ生活することができ、かつ果樹園の買受代金を支払うことができ、(二)、三〇万円で住宅が完成され、飲料水にもこと欠かず、電灯設備も一万円でできるということで買受の意思表示をし、右(一)、(二)を本件売買契約の要素としたのである。しかるに、控訴人が昭和三〇年六月二三日右果樹園に入り桃実を点検したところ三四四四個あり、園丁大佐古実の話によると、その前日六箱(一箱一五個入)約一〇〇個を初出荷したこと、同年の桃実の包装を六〇〇〇個したとのことであるから(甲第三号証)、包装の六割弱が結実したこととなり、その内市場に出荷し得る桃は一〇〇〇個に満たず、一個の出荷価格一〇円として一万円の収入にすぎない。控訴人が、同年一〇月九日果樹園に入り柿を調査したところ、僅か二〇〇個結実しただけで、一個一〇円として二〇〇〇円、無花果も僅かの量で金銭的に計上する程のものではなかつた。前記のように同年度の本件果樹園の収入は合計一万五〇〇〇円に満たないし、夏期には流水なく、近くの濁つた池の水を使用するほかなく、電灯は点灯されなかつた。控訴人は更に調査したところ、昭和二九年度の果樹園の収穫は、桃の袋づけをしたのが七〇〇〇個、結実したのは四〇〇〇個余で、市場に出荷したのは更に減少しているので、昭和三〇年度の収入と殆んど変らないものであり、果樹園の土質は粘土質で桃には適せず若木でありながら相当枯れており、桃の果樹園としての見込のないものであることが判明した。昭和三一年度が果実のなり年で前年度の何倍かの収穫があつたとしても知れたものであつて、控訴人が教職をやめ終世をそこで生活し、かつその収入により果樹園買受代金を完済することは不可能であつて、控訴人が本件果樹園を買い受けることにした事実と全然相違し、この点において錯誤がある。控訴人が右果樹園を買い受けるに当り、前記事実を被控訴人に表示しているのであるから、仮に右事実が動機であるとしても右動機は本件売買契約の要素となるのである。従つて、本件売買契約は、要素に錯誤があるから無効である。仮に本件果樹園の売買が要素の錯誤による無効ではないとしても、既に主張したところにより明らかなように、控訴人は被控訴人の詐欺によつて本件果樹園の買受の意思表示をしたのであるから、本訴で(昭和三四年三月一〇日午前一〇時の当審口頭弁論期日において。)取消の意思表示をする。と述べ、証拠として、当審証人中垣あき、中西治作の各証言を援用する、原判決三枚目表一行目に、中垣あきえとあるのを中垣あき恵、中垣正武とあるのを中垣政武と訂正すると述べたほか、原判決の事実記載と同一であるから、これを引用する。

理由

控訴人が昭和三〇年一月二日被控訴人からその所有し経営していた大阪府豊能郡山田村上山田字新免里所在の果樹園約五反歩(以下本件果樹園という。)を代金五〇〇万円で買い受ける旨約し、右代金の内八〇万円を現金と木炭で支払い本件果樹園の引渡を受けたことは、当事者間に争がない。

成立に争のない甲第一、第二号証、乙第一号証、第二、第三号証の各一、二、原審における控訴人本人尋問の結果により成立の認められる甲第三号証、原審証人中垣政武、大佐古実、磯野亀信、中垣泰子、原審及び当審証人中垣あき恵、当審証人中西治作の各証言、原審における控訴人本人尋問の結果、被控訴人本人尋問の結果の一部(後記信用しない部分を除く。)原審における検証の結果、弁論の全趣旨を総合すると、次の事実を認めることができる。

一、控訴人は、昭和一九年から奈良県立大淀高等学校に勤務していたが、昭和二九年三月頃老年による退職勧告を受けた。控訴人は、永く教員生活をしていたが、私立学校に勤めた期間が永かつたので、退職勧告を受けた当時では恩給を受ける資格がなく、しかも妻と当時二二才の長女を頭に当時七才までの子供五人がいたので、退職後の生計につき思い悩んでいた。

二、控訴人は、昭和二九年一一月頃毎日新聞に掲載された被控訴人の本件果樹園分譲の広告を読み、坪数、樹種、価格等の詳細につき被控訴人に照会した。被控訴人は、これに対し同月下旬頃本件果樹園は元田、畑、山林であつたのを九年前に果樹園にしたもので、代金は五〇〇万円で、収入金額によりすぐ生活の保証のできる事は充分である旨を書面(甲第一号証)で回答して来た。控訴人は、同年一二月初旬被控訴人の案内で本件果樹園を見に行つたが、被控訴人はその際も右回答書に書いてあつたと同様の説明をした。同月二〇日すぎと昭和三〇年一月二日控訴人は被控訴人方を訪れ本件果樹園の売買の交渉をしたが、その際被控訴人は代金は五〇〇万円であるが、肥料をやり手入をすれば一ケ年最高一五〇万円最低九〇万円の収入があり、飲料水も夏もかれずにあると云い、控訴人は手持の金は一二〇万円か一三〇万円しかないと云つたが、被控訴人は右代金の内八〇万円か一〇〇万円を昭和三〇年四月頃までに支払えば、残金は、右果樹園の収入から年賦で支払えばよいとのことであつたので、控訴人は、被控訴人主張のような年収があり、飲料水があるものと信じ、同年一月二日本件果樹園を前記約定で被控訴人の云う通りの五〇〇万円で買い受ける旨約束し、内金として二〇万円を交付し、同時に家族とともに居住する家屋を三〇万円で建築することを依頼した。

三、控訴人は、昭和三〇年一月二日から四日か五日間被控訴人方に泊り、その間被控訴人に連れられて本件果樹園に桃の剪定に行つたが、控訴人には経験がなかつたので、被控訴人の云うとおりの収益があるかどうかは判らなかつた。

四、控訴人は同年三月中頃までの間に被控訴人に現金又は木炭で代金合計八〇万〇九八〇円(八〇万円の支払があつたことは当事者間に争がない。)と建築代金三〇万円とを支払つた。

五、控訴人は、同年三月初旬頃被控訴人に対し同月二五日すぎに転居する旨話しておき、更に同月一七日か一八日に同月二七日か二八日に転居すると通知しておいたのに、同月二八日転居して行つて見ると家屋には畳建具が入つておらず電灯もついていない状況であつた。電気工事は被控訴人の言によると、被控訴人は配電会社の重役に心易い人があるので、一万円位でできるとのことであつたが、実際には一〇万二〇〇〇円かかるというので、電気工事を取りやめ電灯はつかなかつた。

六、控訴人は、その後被控訴人の園丁であつた磯野亀信その他の人から被控訴人の云うような収益は絶対あがらぬことを聞き、被控訴人が収益につき嘘を云つていたこと、本件果樹園には見込のないことが判明したので、同年四月一五日右果樹園では生活できる見込がないから引き揚げる旨被控訴人に通告して、同月二〇日奈良県吉野郡大淀町に引き揚げた。

七、右引揚当時には桃の花の大体散つた後であつたが、本件果樹園の桃の木には花のつかぬ木が大分あり、山の上の方には虫が喰つたため切り倒した木が大分あることが判明した。控訴人が同年六月頃調査したところ、本件果樹園の桃の木に桃の袋がけをしたのは六〇〇〇個で、その内結実した数は三四四四個で、全部売れたとしても、控訴人の出した肥料代二万円を差し引けば、その収入は控訴人方の一ケ月分の生活費にも足らぬものであつた。元来本件果樹園は粘土質の土地で桃の木に適さない地質であり、昭和二九年当時の桃の木は結実するようになつてから五年か六年位の若い木であつたが、その成績は悪く桃の実の収益は三万円内外にすぎないものであつたが、被控訴人は沢山収益があがるように云つていた。

八、本件果樹園には桃の木のほか、富有柿や無花果の木もあるが、その収益も微々たるものである。

以上の事実を認めることができる。原審証人吉野澄子の証言、原審における被控訴人本人尋問の結果中、以上の認定に反する部分は、前掲の証拠と対比して信用しない。他に右認定をくつがえすに足る証拠はない。右認定事実から考えると、控訴人が被控訴人から本件果樹園を買い受ける旨の契約をするに当り、被控訴人が右果樹園の年収は一ケ年最高一五〇万円最低九〇万円あつて、その収益により控訴人の生活は保証される旨控訴人に言明し、控訴人はこれを信用して代金五〇〇万円で買い受ける旨約束し、代金の内八〇万円か一〇〇万円を支払つた後の残金を被控訴人があるという本件果樹園の収益により年賦で支払う旨約束したことが明らかであるから、右果樹園の年収は被控訴人の言明するとおりであつて、その収益によつて売買代金五〇〇万円の内八〇万円余の内入金を除いた大部分の代金が支払われることは、本件売買契約に表示され、その内容となつていたものと解するのを相当とする。しかるに、既に認定したところにより明らかなように本件果樹園は本来桃の木の栽培に適さぬもので、その収益も一カ年数万円程度しかなく、被控訴人の云うような収益は絶対になく、到底控訴人一家の生計を支えることのできないものであるから、本件売買契約の要素に錯誤があつたものと認めるのを相当とする。そうすると、右売買契約は無効であるから、被控訴人は、右売買契約に基き控訴人から支払を受けた内入代金八〇万円の返還義務のあることは明らかである。従つて、右八〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日であることが記録上明白な昭和三〇年一二月一一日から支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める控訴人の本訴請求は、その余の点につき判断するまでもなく、正当であるから認容されるべきである。

以上と異なる原判決は失当であつて、本件控訴は理由があるから、原判決を取り消すこととし、民訴法第三八六条第九六条第八九条第一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 熊野啓五郎 岡野幸之助 山内敏彦)

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